1959年6月に結成され神奈川県社保協
神奈川県社会保障推進協議会は、1959年(昭和54年)6月22日に結成されました。1979年(昭和54年)頃までのおよそ20年間は中央社保協とも連携して社会保障拡充の運動に取り組み、当時の構成団体は、県保険医協会、県民医連、県患者同盟、神商連、借地借家人組合、県母親連絡会、新婦人の会、地評(県評)、神教組、県建設労連、全日自労、医労協などでした。しかし、1970年代後半から徐々に、80年代に入ってからは完全に開店休業となり、運動面では有名無実となりました。
県社保協衰退時の神奈川の社会保障運動
1972年に①「みんなの医療を話し合う神奈川県民集会」が開催され、それが発展して②「医療を守る神奈川県民連絡会(県医療連)」が結成され、1984年の健保改悪反対運動をきっかけに③「医療と年金をよくする神奈川各界連絡会(県各界連)」が結成されました。1989年にはこの運動を継承して④「医療と年金をよくする共同行動推進本部(県共同行動推進本部)」が結成されるなど、県社保協が実質解体した困難な中で社会保障制度の改悪を許さず、その拡充を求めて奮闘したのは諸団体による共同行動でした。90年代に入っても運動を継続していたのは、「県医療連」と「県共同行動推進本部」でした。80年代後半から90年代にかけて労働界は「連合」と「全労連」に再編成されます。全国的に県評・地評(総評)組織に依存していた地方組織や社保協は自然消滅していきましたが、県医療連は県評が社保協運動から撤退した中でも、中央社保協と連絡を取り社会保障運動を粘り強く続けていました。
県社保協の再建・・・県医療連等の運動と神奈川労連の誕生が再建の力に
1990年1月に神奈川県労働組合総連合(神奈川労連)が結成されます。全労連(全国労働組合総連合)は91年の第5回大会で本格的な社会保障闘争の展開を提起し、翌92年7月の大会で「社会保障闘争の新たな構築をめざして・全労連社会保障闘争方針」を決定します。この方針を受けた神奈川労連の呼びかけで91年1月21日に「神奈川県社会保障推進協議会の再建についての相談会」が開かれ、県医療連などとの懇談を重ねます。92年には「県共同行動推進本部」も「積極的に協力していく」ことを確認します。神奈川労連は「社保協再建についての見解」(92年10月27日)をまとめ、93年の春闘時期を目途に再建をめざす方針を確立します。「神奈川県社会保障推進協議会再建準備のための組織代表者懇談会」(92年12月3日)、再建準備会総会(93年2月13日)などを経て、93年6月24日、待望の再建総会が、横浜ワ一クピアに41団体76人が参加して開催されました。
結成総会の討論では「今日の日を待っていた、県社保協の活動に期待している」(県共同行動推進本部)、「専従者は、財政基盤を強め自前でやらないと組織は大きくならない」(保険医協会)、「神奈川の医療労働者にとって、社保協の再建はとても大きな力を感じる」(医労連)等々の励ましと補強の意見が出されるなど、県社保協は大きな期待が寄せられる中で再建されました。まさに、県医療連などの粘り強い運動の継続と神奈川労連の結成が、県社保協再建の原動力となりました。
現在の県社保協は、毎年6月に定期総会を開き、毎月の事務局会議と常任幹事会で運動方針を確認し、活動を進めています。